海外大学・大学院卒業後のキャリア紹介

~ 海外大を目指す人を応援するために ~

自分は何者なのかを問い続けた、アメリカの大学での日々

こんにちは。

ブログをご覧いただきありがとうございます。

 

今回は、県立高校からアメリカの大学を目指しカリフォルニア大学バークレー校

卒業。(通称:UCバークレー

帰国後に起業し、マーケティングと新規事業立案の会社を経営する安田耕大さん

インタビュー2回目です。

 

ボリュームのある内容ですので、3回に分けてお届けしています。

1回目は こちら↓

selection.hatenadiary.jp

 

 

10.大学時代に何を勉強しましたか

 

コミカレ(※1)では経済学、UCバークレー(※2)では政治経済を学びました。

 

※1 コミカレ ⇒ コミュニティカレッジ

※2 UCバークレー ⇒ カリフォルニア大学バークレー校 

(以下、略称でコミカレ・バークレーと記載しています。)

 

11.アメリカの大学に進学して苦労したことはありますか

 

山ほどあります。まず最初は言語ですね。

最初はNIC(新宿)で1年間学び大変英語力が向上しましたが、現地の英語のスピードは全然違います。

何じゃこりゃという感じですね。

NICに行っておらず直接渡米していたらと考えるとゾッとします。

 

最初のコミカレでは、インターナショナル生だけのクラスに入り、そこには日本・中国・韓国の学生がいました。

中国・韓国の学生はみんな手を挙げていて、日本人は全く手を挙げません。

じゃ「俺がやろう」と手を挙げました。

 

そのうち中国や韓国の学生は分かってきたのか?手を挙げなくなり、僕だけが挙げ続けて、最後には「よく質問したで賞」の賞状をもらいました。

先生のオフィスアワー(授業の後)の時間にもよく質問に行きました。

 

あと、みんなメガネの黒髪なので同じような見た目になります。

そこで差別化するため、帽子をかぶり続けました。

わりと戦っていたと思います。

 

授業が順調に行き始めると、課外活動も頑張りました。

自分は何者であるかを伝えないと、バークレーには入れません。

 

これは大学とは関係なく、中学生の頃から「良いリーダーになるには」をずっと考えていました。

ただ、自分の性格が追いついていかず、うまくいきませんでした。

何とか2年間はやり遂げたけれど、いろいろな人間関係を作っていく中で、采配するのが大変でした。

 

バークレー編入してから、まず勉強は大変ですね。

相対評価になってしまうので、それは苦労しました。

 

在学中に留学支援の会社を始め、奔走している最中も、ずっと「自分は何者なのか、何者になりたいのか」という問いを抱えていました。

 

 

12. 同じようなルートを目指す学生さんへアドバイスお願いします

  

バークレー編入できるか?は、また別の問題になりますがやるべきことをやりきった上で失敗した人はそんなにいない気がしています。

 

自分のやりたいことができなかった、という学生時代を送る人はやるべきことをやっていないケースが多いと思います。

 

自分が何をやりたいのか、を一言定義した上で進めばたどり着けるはず。

「目指すなら、やりきっておいでよ」と伝えたいですね。

 

この人すごい!と思った人の背中を追う、追い続ける。

自分を突き動かす情熱を早く見つけて、やるべきことをしっかり書き出して全部やりきる。

 

あと、夢は言葉に出した方が良いですね。

良いことが2つあり、1つは自分で言ったからやります。

プレッシャーにはなりますが、頭の中が整理できます。

あれこれ言われた内容に対して、説得しようと考えるので道筋が立てられるようになります。

 

2つめは、人からの助言をもらえます。

具体的なアドバイスや意見をもらえたり、紹介してくれることもあります。

 

 

13.ご両親に相談したとき、どんなことを心配していましたか?

 

心配していたと思いますが、基本的に良い親だと思うのがやりたいと言ったことを強く否定できないところです。

 

中学校の時からアメリカに行きたいとずっと言っていたので、親にも徐々に「じゃあ、学費いくらかかるのか調べてね」とは言われました。

 

高校の中盤くらいから、覚悟はできていたと思います。

両親より、学校の先生が心配しました。

 

男子校なので三者面談はないのですが、僕だけ四者面談をしました。

そこで、国際教養大学を薦められました。

「ここなら海外に1年間行かれる」と。

やはり心配だったのでしょうね。

 

それと、僕がDVCに直接行く、NICに行くと2つの選択を並べて3つの選択の中から、どれを選ぼうかなという感じでした。

 

その場では言わなかったですけれど、心の中で思っていたのは

「UCバークレーが日本にあったとしても、俺は行くんだ」

 

英語を学びたい訳ではなく、孫正義が行ったところに行きたい。

僕が憧れた場所に行きたい。アメリカに行きたい。

 

そこで、僕はDVCに直接行ったろか!と思っていたのですが、担任の先生が「ということは、今ある選択肢だとNICかな」

と一言言ったときに「ああ、良いな」と思いました。

 

高校時代、親に勉強した姿とかもそんなに見せていなかったので、ちゃんと勉強して行けるぞというところを見せた上で行ける。

恩返しじゃなけれど、勉強した姿を見せて行くならNICかもしれないなと思いました。

 

その後、僕がいなくなり3人となった面談の場で母が「もうあの子は、中学から行きたいと言ってますので、好きにさせてください」

と一言言って、決まったそうです。

ある程度のことはして戻ってくると思っていたのでしょうか。

 

母は、「子どもには好きな選択肢で行かせてあげたい」と僕らが産まれたときから思っていたようで、説明もされました。

 

僕の口座に学費を貯金していて、同額を妹のためにも用意していました。

こっちには手を付けないからね、と釘はさされましたけれど。

うちの母さんさすがだなと思いました。

 

予定していた額よりも増えてしまいましたが、結局最後まで出してもらいました。

心の底から感謝しています。

 

その後、NICに行き「ここで勉強しなかったら人生終わるな」と思って、頑張って勉強して学年1位の成績になり、親にもその姿を見せることができました。

 

そのときは1年間親孝行できたと思います。

コミカレからも奨学金をもらい、学費も少し安くなりました。

 

 

3回目に続きます。

どんなお話になるか楽しみですね。

県立高校からアメリカのカリフォルニア大学バークレー校を目指す。その志とは

こんにちは。

ブログをご覧いただきありがとうございます。

 

今回は、県立高校からアメリカの大学を目指しカリフォルニア大学バークレー校を卒業。(通称:UCバークレー

帰国後に起業し、マーケティングと新規事業立案の会社を経営する安田耕大さんをご紹介いたします。

 

www.berkeley.edu

 

かなりボリュームのある内容ですので、3回に分けてお届けしますね。

 

【安田耕大さんのプロフィール】

 

埼玉県の県立浦和高校を卒業後、NICアメリカのコミュニティカレッジへ進学→カリフォルニア大学バークレー校(UCバークレー)へ編入

日本へ帰国後、IT企業へ就職しマーケティングに従事。

現在は起業し、マーケティングと新規事業立案の会社

「安田耕商事株式会社」の代表取締役社長

 

 

安田耕商事株式会社 代表取締役社長の安田耕大さん

 

 

 

1.今どんな仕事をしていますか

 

マーケティングと新規事業立案の支援会社を2021年に開業し、コンサルティングや実働支援を行っています。

 

2. その仕事を選んだ経緯を教えてください

 

中学生の頃から孫正義氏に憧れ、「いつか自分の会社を持ちたい」と思っていました。

 

学生の頃知人と起業し、その後IT企業のマーケティング職に従事した経験から、Webやモバイル端末による行動変容の面白さ、データから見るビジネスの奥深さを知りました。

 

そして、この知見をいろんな人に知ってもらいぜひビジネスや生活、夢の実現に役立ててほしいと思ったため、起業しました。

 

3. 実際に起業して気づいたこと、予想外だったことなどございますか

 

マーケティングの面白さをメインに取り上げ、デジタル化や販路拡大に取り組んでいましたが、一筋縄では解決しないビジネスの課題がたくさんあることを肌で感じ、様々な分野の知見を会得する必要を感じました。

 

そのため、中小企業診断士を目指したいと考えました。

この資格を目指す過程の中には学術的な観点でもっと多面的にビジネスを見られるようになるきっかけがあるのではないかと思い、今養成課程を受講する準備を進めています。

 

4. 近い将来の希望は何かありますか

 

マーケティングのみならず幅広いビジネス領域を支援できるようになり、困ったらとりあえず安田に相談しようと思われるような人間になりたいです。

 

また、地域産業・地域社会の保全に大変興味があるため、地域にあるビジネスを守る・成長させることで貢献ができるよう取り組んでいきたいと考えています。

 

中小企業診断士の資格とそこに向かう勉強、そしてその実務を通じて、そのような人間になれたらいいなと考えています。

 

5. 海外大に行こうと思ったのはどのようなきっかけですか

 

中学校の頃、孫正義さんの半生を描いた「志高く」を読んだことがきっかけです。

 

その本の後書きにあった柳井正さんの「読んで何も行動しなかったら意味ないよ」という趣旨の言葉(挑発?笑)を受け、「じゃあ孫さんと同じようにアメリカの大学に行ってから起業したる!」と決意をしました。

 

6. アメリカでの留学生活を振り返ってみていかがですか

 

心の底から行ってよかったなと感じています。

もちろん、行く前の想像と違うこともたくさんありましたが、「一度決めたことを曲げずに進み続け、最後叶える」ことが自分に大きな自信をつけてくれました。

 

 

7. 今の仕事にどのように活かされていますか

 

英語を話せることはもちろんですが、それよりも「自分以外の視点でもモノを見れるようになった」ことが大きいかなと思っています。

 

4年間異国の地で「外国人」として生活する中で、今まで自分が見てきたものが当たり前ではないんだと強く実感しました。

 

その結果、他人の境遇などへの想像力・共感力が高まり、より他人に優しくなれるようになった気がします。

 

8. ご両親の反応はいかがでしたか

 

アメリカに行きたいと言い始めた中学生の頃は「いつか気が変わるだろう」と思っていたようですが、結局私の気が変わらなかったので私が高校生の頃、覚悟を決めたようです。

 

やりたいことを認めてくれて、サポートしてくれた両親がいたからこその留学生活だと思っており、大変感謝しています。

 

9. 日本の大学は考えましたか

 

考えなかったです。

初めから、志したところに行きたいと思っていました。

他の選択肢を考えたり、周りの顔色をうかがって決めることはないです。

 

この続きは、2回目にあります。ぜひご覧くださいね。

 

自分の強みを生かしたリーダーシップを発揮できるアジア人女性としての輝き

こんにちは。

ブログをご覧いただきありがとうございます。

 

今回は、イギリスでの生活15年。

 

日本で就職した後にイギリスの大学院へと進まれ、その後現地企業に就職されたJunkoさんをご紹介させていただきます。

 

今はお仕事を続けながら、再び大学院での学びに挑戦されていらっしゃいます。

とても興味深いお話がうかがえそうですね。

 

英語アウトプット大会も開催されているJunkoさん

【Junkoさんのプロフィール】

 

大学卒業後は、一番最初に内定した日本の会社に就職。

数年務めた後に英語を極めたいと思い、英国の大学院に進学。

会議通訳を専攻し、卒業後は現地企業で社内通訳兼社長秘書として、英国でのキャリアをスタート。

現在も、仕事を継続しながらインターナショナルビジネススクールで経営修士号の勉強中。

 

1,なぜイギリスの大学院を選ばれたのでしょうか

 

日本での会社員時代、「学生時代に学んでいた英語を極めたい」

「海外で働いてみたい」という想いが増し、海外生活が実現できるオプションを考え始めました。

 

学生当時、海外は10カ国以上渡航していましたが、初めて英国を訪れた際、洗練された町並みや深い歴史に魅了され「いつかこの国に住みたい」という気持ちは心の片隅にありました。

 

最初は英国でのワーキングホリデーや語学学校の選択肢を考えていましたが、当時、ワーキングホリデービザは就学・就労に対し時間規制があったため、学位取得後に現地就職のチャンスがある大学院進学を思い切って目指すことにしました。

 

残業が多い仕事だったため、限られた時間で準備するのは大変で最終的には条件付き合格のまま渡英、現地でIELTSの試験を受け入学ギリギリで必要な英語スコアを取得する、という綱渡り的な経験でした。  

 

2,現地での就職、そのお仕事を選ばれた理由を教えてください

 

英国の修士号は1年制のプログラムが多く、当時、1年で帰国するのは早すぎると感じたので、在学中、就職活動を開始しました。

 

他の学生が早くからインターンや就職活動を行っているのを見て急いでCV(履歴書)を作成、リクルート会社に登録をしたのを覚えています。

 

英国の大学院では会議通訳・翻訳を専攻していたため、通訳ができるお仕事を探していました。

 

タイミングよく社長秘書兼通訳のお仕事が見つかり、学生寮から追い出される前に(笑)、英国での就職が決まりました。

 

3,実際に働いてみていかがでしたか。また、日本での仕事との違いはありましたか

 

英国では何度か転職をしており、企業によって英国内でも風土が全く違うなと感じます。

 

日本での社会人経験よりも英国での経験の方が圧倒的に長いため日英の比較は難しいですが、法律の違いにより、英国でタブーなことはいくつかあります。

 

年齢で採用を判断したり、年齢を理由に減給することは差別に値します。

 

企業の定年退職の年齢は定められておらず、履歴書にも年齢を記載しません。

 

成果主義で、リストラは日常茶飯事。組織は比較的フラット。

 

総合職・一般職という分け方はなく、Job Description (職務分掌)で業務内容が細かく記載されていることが多いです。

 

 

4,再び、経営修士号を学ばれたきっかけを教えてください

 

英国で経営者サポートやVIP通訳を重ね、経営自体に興味を持つようになりました。

 

また、経営者視点を理解することにより、レベルの高い業務に繋がると思い、現在の仕事を継続しながら経営学を学べる Executive MBA (EMBA) プログラムの受講を決めました。 

 

5,今後の希望などどのようにお考えですか

 

EMBAの同級生の経歴は様々で、会社員から事業主、研究員などビジネスのやり方や働き方、国籍、在住国も含めて多様性があります。

 

また、学生のスタートアップを支援するイベントに参加し、地球レベルの問題を考える機会も持つことができました。

 

EMBAのプログラムを通じ、自分が経験し見てきた世界はごく一部だったことを改めて感じたと同時に、どう世の中に還元できるかも考え始めるきっかけになりました。

 

私はリーダー気質というよりは、サポート役のタイプですが、リーダーシップの在り方は人それぞれ、自分の強みを生かしたリーダーシップをアジア人女性として発揮できるようになりたいと思います。 

 

 

6,最後にJunkoさんからメッセージをお願いします

 

冒頭で、渡英の理由を当たり障りなく記載しましたが、当時日本での会社員生活が窮屈で、男性中心の働き方に疑問を抱いていました。

 

置かれていた環境から逃げ出す手段の一つとして、渡英を考えていたのも事実です。

 

2023年版のGlobal Gender Gap Report (世界男女格差報告書)によると、日本は146ヵ国中125位。

 

過去の私のように、働きにくいと感じている人は未だに多く存在するかもしれません。 

 

日本社会に対するネガティブな想いから、日本を離れ、海外生活をスタートしましたが、海外に出ると日本の良さもよく分かります。

 

長期間の海外生活やEMBAプログラムを通じて、問題に立ち向かい、状況を変えていけられるような活動にも携わりたいと考えるようになりました。

 

こちらをご覧いただいている方々の中には、最前線で女性のエンパワメントを推進している方もいらっしゃるかもしれません。

 

そのような活動に直接関与できなくても、海外で日本人女性として活躍することで、日本在住の方々に勇気を与えらえる存在になれたら嬉しいです。 

 

いかがでしたか?

 

Junkoさんは、下記の理由からイベント

(例:英語アウトプット大会など)も開催されています。

~海外でお会いした9割の方が、言語・異文化コミュニケーションで苦労をしてきているのを見てきており(私もそうです!)

英語でのコミュニケーションやアウトプットに慣れてもらえる環境を提供したく、スタートしました!~

参加したいと思った方は、こちらからどうぞ♪→http://lin.ee/tBaZ030

 

直接、お話を聴ける海外覗き見ラジオもあります。

 

 

 

 

 

 

南アフリカに駐在中、マーケティング部長を務めながらEMBAを取得。目指している挑戦とは

こんにちは。

ブログをご覧いただきありがとうございます。

 

久しぶりの更新ですので、グローバルにご活躍されている

素晴らしい方のお話をお届けできることにワクワクしています。

 

では、本間正史さんをご紹介させていただきますね。

グローバルで活躍したい方向けのサポートもされている本間正史さん

【本間さんのプロフィール】

大学時代に国際協力活動に従事し、英語を5年間毎日学習し英検1級取得。

新卒で大手グローバル家電メーカーに就職。

2年後、研修生として海外駐在(エジプト、サウジ、UAE)し中東アフリカのAudio Visual部門の統括を勤める。

UAE駐在時に大手グローバル自動車メーカーのマーケティング職へ転職しアメリカへの6ヶ月派遣を経て南アフリカに駐在。

マーケティング部長を務めながら、世界ランキング8位のieビジネススクールにてEMBA取得。

 

1. 今どのようなお仕事をされていますか

 

現在は南アフリカに出向3年目で、南アフリカ国内の営業職をしております。

地域営業統括で、国内にある115ディーラーのうち32を担当。

 

異動前は、アフリカのマーケティング戦略・ビジネスプランの部長職として、将来のモデル導入案や年間予算、中期計画などを担当。

 

2. その職場を選んだ経緯を教えていただけますか

 

先ず転職のきっかけですが、2015年時に当時所属していた会社(シャープ株式会社)が倒産の危機にあったこと、自身が29歳という年齢でポテンシャル採用がまだ可能であった年齢から、転職を決意。 UAE駐在時に転職。

 

ビジネス全般を統括するビジネス企画職から、「専門性を身に付けたい」と職種別採用をしている日産自動車を選びました。

 

職種はマーケティングで、導入するラインアップ選定から導入、お客さんに実際に届け収益をあげるまで責任を持つマーケティングに魅力を感じ、この職種を選びました。

 

日産自動車は、同じメーカーであるため入社後すぐに成果を出せること、入社プロセスが大変フレキシブルであったため、その自由な文化に魅力を感じたため。

内定は3つ頂いておりましたが、日産自動車に即決しました。

 

3. 実際に働いてみていかがですか

 

主張があり行動される人間が重宝され、成果を出せば昇格も早いため、非常に働きやすい環境です。

 

社内には外国人も多いため、提案は全て英語で作成し会議も英語が基本です。

そのため、日本流のプロフェッショナルな仕事の仕方と、外国人特有の緩さ(休みが長い、など)が混ざり合い、とても魅力的な職場です。

 

4. 近い将来の希望は何かございますか

 

2つあります。

 

1つ目は縦軸で、現在は課長職ですが3年以内にもう一度昇格したいと考えています。

2つ目は横軸で、社内の「新規事業」の部署に配属され、0→1を生み出す仕事に従事し、成果を出したいと考えています。

 

この2つの目標を達成した上で、40-42歳には再度、新興国の海外拠点に出向し、Directorというポジションに就きたいです。

 

海外拠点の部長職は、オペレーションと戦略が50/50ですが、Directorレベルになると、会社にインパクトを与える変化を与えることが出来る提案が求められます。

 

自分のやりたい戦略や組織のデザインをできる。

面白そうな挑戦と思い、目指してみることにしました。

 

IE graduation

5. 大学院に行ったきっかけ・ふり返り・今のキャリアに活かされているところなど教えていただけますか?

 

大きなきっかけは、「行きたかったから」です。

 

親が、過去に国費留学でロンドンに留学しており、修士号がいかにキャリアにプラスになったか聞かされていた事。

これが無意識のうちに、「いつか大学院へ」という想いとなっていました。

 

更に、外国人が多い日産自動車や北米日産で働いていた時に、課長職以上の方の多くがMBAを取得していた事です。

 

MBAは必須ではないですが、持っていると昇格や転職で有利になる。

これが決め手となり、ビジネススクールに行く事にしました。

 

なお、海外駐在も控えていた事、海外に住むのは初めてでなかったことからオンラインで取得できるMBAIEビジネススクールで取得しています。

 

今のキャリアでは、知識と言うよりも学位が役に立っています。

例えば、MBAを取得した年に管理職に昇格したのですが、会社に対して昇格を交渉する際に大いに役立ちました。

 

もう1つは、個人ブランディングですが、海外MBAを取得した事によって「グローバル人材感」が増したことで権威性を持ち、発言に説得力が増したと感じています。

 

更に、MBAをベースにしたGlobal BootCampというプログラムも設立し、3名の仲間と、3回目の実施に向けて準備中です。

 

最後に、転職活動でも有利に働きました。

もちろん仕事での実績が一番ですが、総合商社を受けた際、MBA保有している理由でリクルータに付いて頂き、最終面接までポンポンと進んだという経緯があります。

 

MBAは、迷うくらいなら取りに行くことをおススメしています。

 

いかがでしたか?

もっと知りたい!と思った方は、本間さんが運営されている

~あなたのグローバルでの活躍をサポートするメディア~

こちらもぜひご覧くださいね。

 

この他に学生時代のお話もうかがってみたいと思っています。

続きはまたのお楽しみに^^

 

次は、思わず「行ってみた~い!」と叫びたくなる美しい風景の数々。

南アフリカの壮大な景色を送っていただきました。(ありがとうございます)

ゆっくりと堪能してくださいね。

 

Three rondavels

Mapugbwe 

Mapugbwe

Mapugbwe

Royal Natal

Suspension bridge

Storms River

Jacaranda and tower

Jacaranda and Navara

Lesotho

 

生物と化学の授業が好きな高校生がアメリカで研究者として活躍!次世代の科学者育成も

 

こんにちは。

ブログをご覧いただき、ありがとうございます。

 

今回は、アメリカのネブラスカ大学リンカーン校を卒業後、ペンシルバニア州立大学の大学院へ進学されたYさまにお話をうかがいました。

 

今は、テネシー州のメンフィスにあるセントジュード小児科研究病院で研究者をされています。

www.stjude.org

 

1. 今どのような仕事をされていますか

テネシー州メンフィスにあるセントジュード小児科研究病院で研究者をしております。

私たちの脳がどのように作られていくかを研究しています。

 

日々の仕事内容は、論文を読んで仮説を立て、それをもとに実験をし、その結果を分析して、自分の仮説が正しかったかを調べます。

 

新しい発見があれば、それを論文にし、出版します。

また、次世代の科学者育成のため、大学生や大学院生の実験指導もしております。

 

2. その職場を選んだ経緯を教えていただけますか

 

高校生の時に、生物と化学の授業がとても好きで、特に実際の研究画像やデータが載っている資料集を眺めているとワクワクしました。

 

日本で医学の道も考えていましたが、やはりアメリカの大学への憧れもあり、アメリカで医学部か大学院に行くことを目標に、ネブラスカ大学リンカーン校で生物学を専攻することにしました。

 

その後、大学で出会った友人や教授たちにアドバイスをいただきながら、いくつかの大学院の博士号コースに応募し、その中でペンシルバニア州立大学に進学することを決めました。

大学院では、ショウジョウバエをモデルに、臓器の大きさはどのようにして一定に保たれているのかについて調べました。

 

博士号を取得すると、学生の大半は、企業に勤めるか、大学や研究機関で研究室に所属します。

私は後者を選び、特に施設が整い、また「小児がんで苦しむ子供をゼロにする」という大きなミッションを掲げているセントジュード小児科研究病院への勤務を決めました。

 

3. 実際に働いてみていかがですか

 

一言で言うと、やっぱり研究が楽しいです。

セントジュード小児科研究病院が持っている研究施設は言うことないほど整っています。

また、一つ一つの研究室が多額の研究費を国や基金・団体から持ってきているので、難しい実験も挑戦することができます。

 

大学での研究と少し違うところといえば、セントジュード小児科研究病院にいると、病院に務めている一人一人の仕事が病院の大きなミッション達成につながっている、というメッセージを所々に感じることができることです。

 

これは臨床ではなく、基礎科学の分野に長くいる私にとって大きな励ましになっていると思います。

 

4. 近い将来の希望は何かありますか

 

大学の教授職に応募するか、製薬会社で研究者として応募するか、または、しばらくセントジュード小児科研究病院で研究者として勤めるか、考え中です。

 

色々な人と議論しながら、研究を進めていくことが好きなので、そのような仕事ができるところにいたいなと思います。

 

5. 海外大に行ったきっかけ・ふり返り・今のキャリアに活かされているところなど教えていただけますか?

 

私がアメリカに大学から来て一番感じることは、人との出会いとつながりは本当に大切だ、ということです。

 

アメリカでは、大学でも仕事のキャリアでも、次のステップに行くときに、教授や上司からの推薦がとても大切になってきます。

 

そうするとやはり、ただ仕事や授業をこなすだけで自分の殻にこもってしまうと、素晴らしい知識や技術を持っていても、それを証明してくれる人がいないので、とてももったいないと思います。

 

少しでも、できれば定期的にいろんな方との出会いやつながりを作り、深めていくことは、これからのいろいろな場面で役に立つと思います。

 

またこれは、ステップアップに限らず、人生のいろんな場面で、やはり異国にいると、親に聞いても日本の友人に聞いても分からないことが出てくると思います。

 

例えば、確定申告やビザ、もっと身近なところで言えば、どこのクレジットカードがお得か、とか、子供の習い事選び、とかです。

そんな時、それぞれ違う人生のステージにいる友人、知り合いがいることは、とても心強いと思います。

 

5. ご両親の反応はどうでしたか

 

私の両親は、私がアメリカの大学に行くことを全面的に応援してくれました。

 

ネブラスカ州に行くことに決定した時、どんな所か全く想像ができず不安でしたが、父がインターネットで写真や情報を見せてくれて、のどかで安全な雰囲気は分かり、

安心したのを覚えています。

 

また、留学斡旋機関を通して留学し、現地に日本人のアドバイザーがいらっしゃったのも、私自身もまた両親にとっても、心強かったと思います。

 

渡米後しばらくは、毎日のようにメールをやりとりしていたと思います。

そうすることで、不安な気持ちを引きずらずに生活ができていたような気がします。

 

次第に友人ができ、授業も忙しくなってきて、メールの回数は減りましたが、一ヶ月に一回はテレビ電話をしていたような気がします。

 

いかがでしたか?

理系が得意な方や、研究したい分野がある方は、とても参考になりますね。

日本の高校生は優秀だから、アメリカでも活躍できる道がいろいろあるのではないか?というお話にも勇気づけられます。

UWCを卒業後にカナダの大学へ進学。大学卒業後は日本で就職

 

こんにちは。

ブログをご覧いただきありがとうございます。

 

先日、保護者の立場からお答えくださったKさまから更に詳しいお話をうかがいました。

実は、お嬢さまが2人いらっしゃいます。

 

お2人ともそれぞれ希望された海外の大学へ進学された後、ご自身の決めた道をしなやかに歩まれています。

今回は次女の方のストーリーをご紹介させていただきますね。

 

中3の時にイギリス短期留学をされて、「高校は海外に行きたい」と思われたそうです。

そして、秋にUWCの説明会に参加。


再来年の受験を決意し、猛勉強を始められます。


高2の春、UWC奨学生試験に合格。

フルスカラーシップでイタリアのUWCへ留学されます。

2年後UWCイタリア校を卒業。

 

卒業の1年前から大学を調べ始め、カウンセラーと相談されていたようです。


イギリスかカナダを志望校として選択肢に入れ最終的にカナダの大学をチョイス。


バンクーバーで伸び伸び学び、ウガンダにも3か月滞在し、ボランティア活動も実践されていました。


3年半で単位を取り終わり、一旦帰国。


カナダに留まることも考えたが、色々考えて最終的に日本の金融機関に入られました。

 

現在もバリバリ仕事をされていらっしゃいます。

 

いかがでしたか?

 

実は、お嬢さまとお目にかかったことがあります。

とても聡明で、美しさが内面からあふれ出るような方なのですが、パワフルでお話も楽しく多面的な魅力を兼ね備えていらっしゃいます。

研究者や大学院を視野に入れている方への大学選びのヒントになりそうです

 

こんにちは。

ブログをご覧いただきありがとうございます。

 

先日、保護者の立場からお答えくださったKさまから更に詳しいお話をうかがいました。実は、お嬢さまが2人いらっしゃいます。

 

お2人ともそれぞれ希望された海外の大学へ進学された後、ご自身の決めた道をしなやかに歩まれています。

今回はご長女のストーリーをご紹介させていただきますね。

 

子どもは小学生に入る前から英語を学んでいました。

小4の時にアメリ東海岸の都市で現地校に通い、アメリカ人の子どもたちと一緒に学びました。

かなり良い経験をしたようです。


中高は首都圏私立一貫校。

英語教育で有名でかなり高い英語力を身につけましたが、理系志望だったので理数にも力を入れました。


大学は当初は日本の大学でしたが、色々あり、高3の秋にアメリカの大学も調べ始めました。

多くのアメリカの大学が色々試験を受けなければ、出願できないことがわかったので留学会社の正規アメリカ大学留学プログラムを利用することを検討。

説明会にも出席するなど情報収集しました。

 

もともと学力はあったので、一番の問題は高い学費を4年間払い続けることができるかという点でした。


理系は大学院まで行くのが普通なので、大学院まで視野に入れて検討しました。


本人は中西部にある研究型州立大学では生化学、数学など理系専攻で、一部の高学力学生が対象のオナーズプログラムに入り、より高いレベルの授業を一年目から受けていて、三年次から教授の研究室に所属して研究助手をしていた記憶があります。


四年次での進路の検討は当然大学院進学。


最初よくわからなくて、アメリカの修士と博士の両方を検討していましたが、アメリカでは学士を終えた優秀な学生は修士ではなくいきなり博士課程に進むのが普通なので、自然に博士課程進学を考えるように。


学部では成績が良く、英語力もさらに伸び、研究活動もしていたので、複数の研究型総合大学の大学院に出願。

縁あって、東海岸の一流州立大学の大学院に入ることになりました。

 

大学院からは、数万ドルかかる授業料プラス生活費、健康保険料分のスカラーシップをもらいました。


大学院で6年間研究活動に取り組み、博士号を取得。


今は全米トップクラスの医学薬学系研究機関で研究をしており、6年目です。