こんにちは。
ブログをご覧いただきありがとうございます。
今回は、県立高校からアメリカの大学を目指しカリフォルニア大学バークレー校を
卒業。(通称:UCバークレー)
帰国後に起業し、マーケティングと新規事業立案の会社を経営する安田耕大さんの
インタビュー2回目です。
ボリュームのある内容ですので、3回に分けてお届けしています。
1回目は こちら↓
10.大学時代に何を勉強しましたか
コミカレ(※1)では経済学、UCバークレー(※2)では政治経済を学びました。
※1 コミカレ ⇒ コミュニティカレッジ
(以下、略称でコミカレ・バークレーと記載しています。)
11.アメリカの大学に進学して苦労したことはありますか
山ほどあります。まず最初は言語ですね。
最初はNIC(新宿)で1年間学び大変英語力が向上しましたが、現地の英語のスピードは全然違います。
何じゃこりゃという感じですね。
NICに行っておらず直接渡米していたらと考えるとゾッとします。
最初のコミカレでは、インターナショナル生だけのクラスに入り、そこには日本・中国・韓国の学生がいました。
中国・韓国の学生はみんな手を挙げていて、日本人は全く手を挙げません。
じゃ「俺がやろう」と手を挙げました。
そのうち中国や韓国の学生は分かってきたのか?手を挙げなくなり、僕だけが挙げ続けて、最後には「よく質問したで賞」の賞状をもらいました。
先生のオフィスアワー(授業の後)の時間にもよく質問に行きました。
あと、みんなメガネの黒髪なので同じような見た目になります。
そこで差別化するため、帽子をかぶり続けました。
わりと戦っていたと思います。
授業が順調に行き始めると、課外活動も頑張りました。
自分は何者であるかを伝えないと、バークレーには入れません。
これは大学とは関係なく、中学生の頃から「良いリーダーになるには」をずっと考えていました。
ただ、自分の性格が追いついていかず、うまくいきませんでした。
何とか2年間はやり遂げたけれど、いろいろな人間関係を作っていく中で、采配するのが大変でした。
相対評価になってしまうので、それは苦労しました。
在学中に留学支援の会社を始め、奔走している最中も、ずっと「自分は何者なのか、何者になりたいのか」という問いを抱えていました。
12. 同じようなルートを目指す学生さんへアドバイスをお願いします
バークレーに編入できるか?は、また別の問題になりますがやるべきことをやりきった上で失敗した人はそんなにいない気がしています。
自分のやりたいことができなかった、という学生時代を送る人はやるべきことをやっていないケースが多いと思います。
自分が何をやりたいのか、を一言定義した上で進めばたどり着けるはず。
「目指すなら、やりきっておいでよ」と伝えたいですね。
この人すごい!と思った人の背中を追う、追い続ける。
自分を突き動かす情熱を早く見つけて、やるべきことをしっかり書き出して全部やりきる。
あと、夢は言葉に出した方が良いですね。
良いことが2つあり、1つは自分で言ったからやります。
プレッシャーにはなりますが、頭の中が整理できます。
あれこれ言われた内容に対して、説得しようと考えるので道筋が立てられるようになります。
2つめは、人からの助言をもらえます。
具体的なアドバイスや意見をもらえたり、紹介してくれることもあります。
13.ご両親に相談したとき、どんなことを心配していましたか?
心配していたと思いますが、基本的に良い親だと思うのがやりたいと言ったことを強く否定できないところです。
中学校の時からアメリカに行きたいとずっと言っていたので、親にも徐々に「じゃあ、学費いくらかかるのか調べてね」とは言われました。
高校の中盤くらいから、覚悟はできていたと思います。
両親より、学校の先生が心配しました。
男子校なので三者面談はないのですが、僕だけ四者面談をしました。
そこで、国際教養大学を薦められました。
「ここなら海外に1年間行かれる」と。
やはり心配だったのでしょうね。
それと、僕がDVCに直接行く、NICに行くと2つの選択を並べて3つの選択の中から、どれを選ぼうかなという感じでした。
その場では言わなかったですけれど、心の中で思っていたのは
「UCバークレーが日本にあったとしても、俺は行くんだ」
英語を学びたい訳ではなく、孫正義が行ったところに行きたい。
僕が憧れた場所に行きたい。アメリカに行きたい。
そこで、僕はDVCに直接行ったろか!と思っていたのですが、担任の先生が「ということは、今ある選択肢だとNICかな」
と一言言ったときに「ああ、良いな」と思いました。
高校時代、親に勉強した姿とかもそんなに見せていなかったので、ちゃんと勉強して行けるぞというところを見せた上で行ける。
恩返しじゃなけれど、勉強した姿を見せて行くならNICかもしれないなと思いました。
その後、僕がいなくなり3人となった面談の場で母が「もうあの子は、中学から行きたいと言ってますので、好きにさせてください」
と一言言って、決まったそうです。
ある程度のことはして戻ってくると思っていたのでしょうか。
母は、「子どもには好きな選択肢で行かせてあげたい」と僕らが産まれたときから思っていたようで、説明もされました。
僕の口座に学費を貯金していて、同額を妹のためにも用意していました。
こっちには手を付けないからね、と釘はさされましたけれど。
うちの母さんさすがだなと思いました。
予定していた額よりも増えてしまいましたが、結局最後まで出してもらいました。
心の底から感謝しています。
その後、NICに行き「ここで勉強しなかったら人生終わるな」と思って、頑張って勉強して学年1位の成績になり、親にもその姿を見せることができました。
そのときは1年間親孝行できたと思います。
コミカレからも奨学金をもらい、学費も少し安くなりました。
どんなお話になるか楽しみですね。