こんにちは。
ブログをご覧いただきありがとうございます。
今回は、英語教育のプロフェッショナルR.Kさんをご紹介いたします。
アメリカの大学院へ進学したきっかけや、英語教育への情熱。
今のお仕事を通して思い描いていることなどを聴かせていただきました。
実際に米国で仕事をされた貴重なご経験は、海外就職を目指す方にも参考になると思います。
数回に分けてお届けしますね。
【R.Kさんのプロフィール】
大学卒業後、機械メーカーに就職。その後アメリカの語学学校へ留学し、サンフランシスコの大学院へ進学。英語教授法TESOL(英語を母語としない学習者へ向けた英語教授法)を学ぶ。
卒業後は、現地ビザでアメリカの語学学校へ就職。
日本へ帰国後、児童英会話講師を経て、現在は英語教育系企業でネイティブ講師トレーナー兼カリキュラムディレクターを務めている。
1.大学院にはどのようなきっかけで行かれましたか
大学でも、英米文化コースに在籍していたので留学には興味がありました。
「留学したい」とダメ元で親に言いましたが「余裕がない」との返答。
「英語を使う仕事がしたい」という想いを抱えたまま、機械メーカーに就職します。
面接の際に、私が就く職種として候補に挙がっていたのは‘英文事務’と‘研修インストラクター’の2つだったようです。
私としては、英文事務を希望していたのですが研修インストラクターとして採用になりました。
先輩が魅力的で、一緒に働いてみたい。
「海外からもお客様が来るから英語も使うよ。」と言われたのが決め手です。
研修では、2週間で「CADをできる」状態にして送り出すミッションがあります。
ところがPCのキーボードも初めて触る、マウスが使えない人もいます。
会社から言われて仕方なく来ている人もいます。
全員が満足いくようにするにはどうしたら良いか。
試行錯誤しながらも、だんだんとお礼を言われることが増えていきました。
ノートの切れ端に
「こんなに親身になって教えてもらったのは、学校で出会った先生を含めて人生で初めてです。ありがとうございました」
と書かれたメモを渡されたときの感激。
このときの手書きのメモを思い出すと、今でも当時の想いが蘇ります。
教えることが楽しい!と思い始めたこと。
実は、大学時代のバイトでも塾の講師や家庭教師をやっていました。
ただ一番長く続いたのは、歯科助手(4年間)でした。
英語を教えてはいても、それが自分のやりたいこと・天職とは思えなかったのです。
それが、インストラクターとして「教えること」を続けているうちに、楽しくてやりがいを感じるようになりました。
自分が気づいていなかった能力を会社が見つけてくれたと思っています。
その頃、会社にはアメリカに支社がありました。
1人だけ海外駐在のポジションがあると知り、迷わず「行きたい」!と手を上げました。
ところが、他の人は誰も行きたくない(=英語が話せない)にも関わらず、「女の子だから無理だと思うよ」とあっさり言われてしまいます。
コンサバな体質で、何かというと「女の子だから」という反応が気になります。
成長したいのにチャンスがない。
どうせ教えるなら、好きな英語を教えたい。
「そうだ、留学しよう!」
昔、抱いた想いが、再燃します。しかも、以前よりもっと強く。
そう思い始め、当初はカナダで1年間の語学留学をしようと考えました。
途中から留学経験を持つ友人からのアドバイスにより、アメリカで大学院を目指そうと決めました。
2.どのように学校を選びましたか
まず語学学校に行き、アメリカでの生活に慣れながら英語力を上げようと思いました。場所を選ぶときに、2つのことを基準にしました。
・日本人が少ないこと
・日本語を話さないこと
そうすると東海岸や西海岸ではないな、と。
選んだのは、全米でトップ3に入る安全な場所です。
ウィスコンシン州の語学学校にしました。
大学院を選ぶときには、英語といっても言語学、応用言語学、英語教授法など多岐にわたりますので、自分が1番興味があり、学びたいことができる分野はどこかをよく調べ、消去法で消していき、最後は、理論よりも実践に比重を置いているサンフランシスコの大学院を選びました。
自分の貯金で留学するため、できるだけお金をかけたくない。
無料で相談できるエージェントなどにも連絡し、情報を集めました。
でも、決めるまでは本当に怖かったです。
会社を辞めて、戻ってきたときは白紙の状態になってしまう。
レールからはずれるのも、怖い。
自分で決めた道は、退路を断つことになる。
今まで、自分の意思で決めてきたものの、やはりそれはどこか親から提示された中から選んできたように思えるのです。
母が厳しく、大学のときに留学の相談をしたときも「余裕がない」と言われました。
当然反対されると思っていた母に相談したとき「自分で貯めたお金なら良いんじゃない」と言ってくれたのです。
その頃、ちょうど祖母ががんで亡くなってしまった時期でした。
祖母に相談したときも「娘(私の母)には、我慢させてやりたいことをやらせてあげられなかった。できる環境ならやってみなさい」と背中を押されました。
職場も同様です。
居心地が良ければ辞めなかったでしょう。
「女の子だから」の一言が、結果的に背中を押してくれたのです。
続きは、いよいよ留学先でのお話です。
楽しみにしていてくださいね。